都内で音楽ラボを営むスワラジのウエダタカユキです
私たちが専門にしているような
中東の楽器を演奏されている方の中には
ベリーダンスから入られる方も多いので
中東におけるダンスや音楽の発展に
大きく貢献した
オスマン宮廷音楽について深堀りしますね😌
オスマン宮廷ではぐくまれた文化
今ではシリアやイスラエル、トルコなどは別々の国ですが
ながーい間これらの地域

アナトリア半島から東地中海のアラビア圏はオスマン帝国という
ひとつの大きな国でまとまっていました。
イスタンブールは帝都として発展して
スルタンの宮殿では
さまざまな 芸術家が保護され
人種にとらわれないコスモポリタン的な雰囲気のもとで
トルコのみならず、ペルシャやアラビアの影響も受けて
洗練された、専門的な古典音楽クラシックが受け継がれてきました。

18世紀の絵画にみられるように
女性の演奏家いたことが確認できます。
オスマン帝国と聞くと
もしかして厳格なイメージがあるかもしれないですが
時代によって、多様な文化が育まれていたのです😌
民族楽器にもクラシックがある
民族音楽というと、もうすこし
ラフな?イメージがあるかもしれないですね
クラシック音楽は
西洋の宮廷で発展した音楽だけではないのです。
中東の民族楽器にも
長い時間をかけて体系的なシステムを
生涯をつうじて学べる
深遠なクラシック(古典)の世界があります😊

オスマン時代の
宮廷にはアカデミーが創設され
さまざまな専門分野とともに
今でも演奏される楽曲を遺した
オスマン古典音楽の作曲家も多く輩出しました
エンデルンは、1363年にムラド1世が設立した宮廷アカデミーで、ムラド2世、征服王メフメト、バヤジット2世が発展させた。メーテルハーネと同様、1833年のマフムード2世の時代に廃止された。エンデルンのカリキュラムには、宗教的なものだけでなく、肯定的な科学や芸術も含まれていた。講師は、帝国内と国外から集められた。ベンリ・ハサン・アー、カンテミル、ムスタファ・チャヴシュ、ヴァルダコスタ、ヌマン・アー、デラザッデ、タンビュリー・オスマン・ベイ、シャキール・アー、エンデリュニー・アリ・ベイなど、オスマン帝国を代表する作曲家たちは、その卓越した能力と技術により、幼少期にエンデルンに入学しました
othman music より引用
こちらは私の楽器ケメンチェを作っている
イスタンブールの楽器工房の方たちによる
17世紀のオスマン古典楽曲になります
意外におもわれるかもしれないですが
ケメンチェなどの
しぶーい古典楽器は
大きさも小さくて、持ち運びもカンタンということもあるのか
イスタンブールでは若い女性のケメンチェプレイヤーを
私が滞在中に多くみかけました。
オスマン帝国の宮廷で育まれた
古典音楽はその後、
19世紀の西欧化の波とともに
宮廷では失われましたが
今でもこうして
大切に受け継がれています😊
ケメンチェなどは弓の楽器なのでそれなりの難易度はありますが
西洋楽器のチェロやバイオリンなどと比べても
安価で、音量も小さく、音質もマイルドなので
日本の住環境にも最適です。
親しみやすいオスマン古典音楽
クラシック、古典が宮廷でながーい時間をかけて
そだってきたのはわかるけど、
難しそう?堅苦しそう?
と思うかもしれないですよね
曲やモード(マカーム)にはいろいろありますが
その中でも現代人の私たちにも親しみやすいものもあります😊
こちらは、オスマン時代の末期
今から100年くらい前
イスタンブールのギリシャ人作曲家による作品
私達もよく演奏する曲です😌

オスマン古典の楽曲の多くは
Neyzenというサイトで無料公開されています
民族楽器じゃなくても
どんな楽器でも再現可能です
微分音という、西洋音階にはない音も含まれていますが
それについてはまた別の記事で解説しますね😊
動画の演奏は
- ケメンチェ ギリシャ人
- ウード アルメニア人
- パーカッション イスラエル人
という
多国籍ユニットですが
オスマン時代はこれらの地域は
ひとつに統合されていたところなので
彼らの伝統の中にもオスマン音楽の影響は
色濃く残っています。

オスマン時代には
アルメニア人の優れた作曲家も輩出しています
人種に関係なく
コスモポリタンな雰囲気の古き良きイスタンブールが
彷彿とされますね。
もうちょこっと詳しく知りたい
オフラインで楽器に触れてみたい
という方は
スワラジのライブやレッスンなども
開催してますのでお気軽に
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